僕のひとつだけ たったひとつ どうか消えないでね

リバとYちゃん

 

 

 

 

7月8日深夜、わたしは大坂にいて、パジャマを着て

眠さと疲れでぼうっとした頭でミキティーさんの話を聞いていました

 

「GAY NIGHT in OSAKA」ゲイアイドルの4人によるイカしたトークイベントです。

 

7月7日七夕の日から二日間、大阪遠征に来ていたのだけど このときの遠征は災害レベルの大雨で夜行バスや新幹線が運休して、不安でいっぱいで眠れなかった

なんとか朝のライブに間に合って安心でべしょべしょになってそのあとふたつのライブ、それからの深夜のトークイベントはさすがに眠くて、意識半分で聞いてた

 

 

その中でわたしが一番気になったこと 心に残ったこと

 

「今歌詞を書いているの、趣味とか特技の話」

ミキちゃんが今書いている歌詞の話。

 

 

ゲイトークはテーマフリーで色々なことを打ち合わせなしでお話してくださっていたので、レポ禁止(ニュアンスで受け取りにくいようなことを書くのは避ける、という意味だとわたしは受け取りました)で、

わたしはそのままに「ミキちゃんが話してくれた新曲の歌詞の話が一番心に残った」とツイッターに書きました。

 

 

言葉のとおりで。

 

 

私は、絵を描いたり、漫画を書いたり、デザインをしたりを

仕事でも自分の自由な時間でもしています。

(デザインはまあ、仕事だけだけど)

 

それは何というのが正しいのか自分でも着地点が見いだせていないけど

ごはんを食べる と同じくらい生活の一部ではあります。

 

 

だからミキちゃんの話、まだニュアンス程度だったけれど 私はミキちゃんが書く歌詞が曲が二丁魁の音楽がぜんぶ大好きで 大切なので、次に生まれてくるであろうその曲が一体どんなものなのか、

いつ発表されるのか、ずっとわくわくしていました。

 

「きっと大切な曲になるんだろうな」って思ってました。

 

 

 

数日後の特典会。

 

ミキちゃん「新曲の歌詞のこと呟いてるの見た!あんた絶対好きだよ!」

ぺい「うん、はやく聞いてほしい!」

わたしのツイートを見てくださっていたようでこんなふうに言ってくれました。

もっともっとわくわくが増して、思わず

 

「じゃあその新曲が入って三枚目のアルバム!??」

 

と聞いてしまいました(未発表なので言えるわけねえだろ)

 

案の定ミキちゃんは笑顔でごまかしてニコニコしていました。困らせてしまって申し訳ない

 

 

これを聞いたのは7月16日で、次の新曲はゲイナイトのときに言っていた曲ではなく「どこで壊れたの?Oh my friend」でした。

ピューロで新曲発表しますと言われてはじめて聞いた時、「あれかな…?」と思ってじっと歌詞を聞き取ろうとしていたけどすぐ別の曲だってわかった。

 

いつ聞けるのかずっと楽しみにしていました。

 

 

 

8月に入ると、前の記事に書いた暑い夏を過ごします。

 

 

夏の間、大舞台で新曲発表するかも…と心の片隅にいつもそのことがありながら、おおむね思い出すことなく夏を過ごしました。

 

 

 

8月31日、夏の終わりの日、

 

サプライズでそれは発表されました。

 

 

新曲「リバ」。

 

 

 

タイトルだけは、3枚目のCDのリリース情報がでたときに事実上発表され、

見たことのない2つの曲目、わたしはこのふたつのどちらかが「例の曲だ」と確信して、ずっと楽しみにしていたんです。

 

 

 

リバを聞きました。

 

 

 

リバ。

 

 

 

 

リバ・・・

 

 

 

 

 

ミキちゃん、ミキちゃんにどうしても言いたい

 

見ていないでしょうけど

 

 

これ、わたしのことを書きましたよね・・・。

 

 

 

リバは槍みたいにグサグサ、わたしに刺さりました

 

たぶん心臓に刺さりました

痛かった

 

傷つくとか、すきとか、きらいではまだなくて

こわい

この歌はほんとうに自分のことを歌っているように感じてこわいです

 

わたしが日頃、抱えているもやもやしたもの

 

直接見るのがこわいこと

 

ドロドロしたものもぜんぶ歌になっていました

 

 

自分が大切に大切にしていることはたった一つなのだけど、ひとつじゃなくて

明るいところも暗いところも綺麗な形もぐちゃぐちゃな部分もあるから

 

そういうぜんぶが歌になったのがリバだと思いました

 

 

なんてことしてくれたんだ

 

 

私は、二丁魁の音楽が大好きで、

ぜんぶ、今まで、大事にしてた、してる。

 

 

リバは、二丁魁の音楽を聞いてはじめてのタイプの曲でした。

 

 

 

正直、戸惑った

 

私はまだこの曲のことを「大好き」とは言えないです。

 

 

 

 

でも逃げられない。

 

 

 

逃げられない理由はみっつあって、

 

 

ひとつは、二丁魁の音楽がライブがすきだから

 

 

もうひとつは、うっ て心を殴られたみたいな、グッサリくるところはぜんぶぺいちゃんのパートだったから

 

 

最後のひとつは、これは絶対的なもので、

私は、どんなにくるしい、つらいことがあっても

好きなことをぜったいにやめられないから

 

 

 

 

+++

 

 

 

小さい頃から絵を描くことが好きです。

好きっていうかもう、生活の一部です。

 

たぶん一番はじめは3歳とか4歳のとき、

 

リボンをつけたうさぎをたくさん描いてた

 

おかあさんが描いてくれたアンパンマンとかセーラームーンを真似して描いた

 

保育園にいるころはずっとそうやって部屋の中で遊んでいたから

運動はまったくできない子どもに育ったけど

 

 

かわりにわたしは

「絵がじょうずなYちゃん」になった

 

 

 

小学生、いつも持ってた自由帳とかわいいえんぴつ

お友達同士でノートを交換してリレー漫画を描いた

 

絵といえばYちゃん

Yちゃんが一番絵が上手

ってみんなが言ってくれた

 

 

4年生のときにりぼんの「まんが家になろう!」っていう本や投稿ページをみて

つけペンとかスクリーントーンとかに憧れてまんがの描き方を覚えた

 

おこづかいで買った 原稿用紙と、専用の書きづらいペンをつかって、漫画(とは到底よべない一枚絵)を描いた

 

4年生のときにはパソコンをおぼえて、好きなゲームのキャラクターを 当時流行っていたお絵かきBBSにマウスで描いて

まわりのおとなの人達がじょうずだねって褒めてくれた

 

 

中学生、美術部に入って、一年生なのに文化祭のポスターのコンテストで優勝して

文化祭のステージバックのデザインを自分でてがけた

 

Yちゃんが入るまで一番絵の上手かった美術部の先輩は、幽霊部員になって 男の子とばかり遊ぶようになって

部活にこなくなった

 

美術の授業で先生の直しが入らないのはYちゃんだけだった

 

 

高校生、美術部はオタクのあつまりで

Yちゃんはオタクなくせにオタクと思われることが恥ずかしくてその仲間には入らなかった

 

自分の個人ホームページをつくって同人活動をすこしだけしてた

 

 

「好き」だという気持ちは、自分の好きな表現方法であらわすことができる

 

いつのまにか気づいたとても重要なこと

 

いつのまにか当たり前になってた

 

 

Yちゃんが住んでいた田舎には

医療系・看護系の専門学校か国立大学しか進学先がなく

 

将来、「つくること」を仕事にしたかったYちゃんは

 

 

ほんとは美大に行きたかった。

 

 

中学生の時先輩に漫画を借りて大好きになった、ハチクロみたいな青春を送りたかった。

 

でも美大に入るには大変な勉強と絵の練習と

もっともっと自分が想像できないような大変な勉強も必要だということを知っていた

 

あとこれは選べなかった言い訳のひとつで

Yちゃんのおうちは 地元でそこそこ有名なお店で

その店の子どもはおねえちゃんとYちゃんしかいなかった

 

好きな仕事をしたかったわたしは、

卒業しても絵を描く仕事ができる確証のない選択を

 

美大を受けたいです ってお母さんとお父さんを説得する勇気がなかった

 

今思えばいくらでも選択できる道だったはず

 

度胸も覚悟もぜんぜんないバカだった

 

 

でも東京に行きたかったから

 

 

絵を描くことがすきになったのと同じくらいのときに、おしゃれすることも好きになったから

ファッション雑誌の編集さんになりたくて、

そういう勉強ができる私立の大学に推薦でラクしてスルッと入った

 

 (だから、美大に行くという選択をした、勉強を頑張った・頑張っている人のことをわたしはすごく尊敬しています)

 

 

 

優しい両親に何でも買ってもらって

なんでも好きなことをやって

まわりに褒められて

ぬくぬくと育ったYちゃんは

大きな挫折もないまま 東京の大学生になった。

 

 

 

 

 

ネットで絵を描くことはそこそこ昔からやっていて、

小学4年生が描いた割には「上手だね」って言ってもらえるの当たり前。

 

大学生になったYちゃんはあっという間に20歳になった。

 

気づいたら、特別若くはなくなってた。

 

 

大学の授業では本や雑誌をたくさん作った、Yちゃんはここでも周りにたくさん褒められた

 

でもまわりには他にも上手な人がたくさんいた。

 

 

授業で提出した課題の本が、先生に褒められる。

一番が自分じゃないこと、それがだんだん当たり前になっていって

 

それは少しずつ積み重なっていてYちゃんは思った。

 

 

 

「わたしは特別絵が上手いわけじゃないんだ」

 

 

 

井の中の蛙 ってこのことで

 

自分より他の人が褒められるのは、いつも、みぞおちのあたりから喉まで血とかなんらかの液体が昇ってくるんじゃないかってくらいざわざわして、それは、すごく苦しいことだった。

 

いつも一番がよかった。だって絵を描くことがすきでつくることがすきで、誰にも思いつかないようなアイディアで、個性が出ていて、ナンバーワンでオンリーワンがいい。

 

人に褒められたら好かれるし、人気者になれるし。

 

そのためにはみんなと同じじゃダメだし、

 

ましてや、誰かのほうが優れているなんて耐えられなかった。

 

 

 

 

でもぜんぜんダメなの。

 

気づかないふりを何年も何年もしていたこと、

 

言葉にして頭に浮かべないようにしてたこと、

ようやく認めなきゃいけなかった。

 

 

わたしは絵が下手くそだった

 

 

上手いって褒めてくれる人がいるのはわかる。

そりゃ落書きでもなんでも何年も描く「経験」だけは、時間だけはつかっているから

そこそこはできてる

 

でもいつでも一番がよかった

 

 

何年も絵を描くことがすきでずっとやってきたくせに

環境がかわって まわりがよく見えるようになって気づいたのは

自分の異常なこだわりと

認められたい

人に好かれたい

嫌われたくないとかそういう

ドロドロした気持ち

 

純粋に「すき!」だけではもう描けないのかな

 

 

 

編集の勉強を通して

文字や企画を考えることより見た目を作ることがすきだとわかったので卒業後はグラフィックデザイナーの道に進みました

 

はじめの会社は3ヶ月でクビになりましたがいまは次の会社で元気に働いています

広告デザインの仕事です

 

 

 

 

大人になったYちゃんは、

とある女の子のことが好きになって、人生が大きくかわることになります

 

アイドルオタクになったんです。

 

 

ファンアートをめちゃめちゃ描くようになった

それはゲームとかアニメとかがすきなときもずっとやっていたことだけど

 

現実にいる人にファンアートを描くことは、ラブレターと同じで、

気持ちを伝える手段でもあることに気づいて、

いままでたくさんたくさんのものを描いてきたけれど今がいちばんしっくりきてる。

 

 

好きな人と、

好きな人に好きだと伝える手段をみつけた。

 

 

 

2016年にはじめて、

ここまで生きてきてやっと、初めて、まともに、(よく考えるとまともかはわからない)漫画をひとつ描いた。

 

それは本人と

まわりのたくさんに見てもらえて

いろんな気持ちを伝えてもらった。

すごく嬉しかった。

 

 

それからは自分の身に起きたことや

考えていることを少しずつ漫画にするようになりました

 

 

いまは、

大好きな、大好きなアイドルがいます

 

 

それがわたしのいまです

 

 

 

 

リバを聞いて、

自分のことをすごくすごく考えました

 

 

 

自分が認められることは

自分を好きになれることだ 少しずつでも

 

 

 

 

「これは特技じゃありません ただ好きなことしてるだけです

得意と自信も持てないし あくまで趣味にしといてください」

 

ほんとうは見てもらいたいし評価されたいのに、

趣味でやっていることだと こんなもんだけどって、傷つきたくないから卑下して牽制して

いつまでも自信持って「見て!」って言えない

 

「だって得意気に好きな事やった瞬間 世の中が評論家みたいな顔して 評価してくるでしょ?」

 

 

たとえば漫画のひとつを描くのって

わたしが描くのは実録のものだから 記憶をたよりにメモを書き出して

ここは残して削ってって取捨選択して、こういう気持ちを伝えようって考えて

構成を考えてラフを描いて

スケッチブックに線画を描いて

パソコンに取り込んできれいに整えて 色を塗って

完成するまでにすげえ~~時間がかかる

実作業の時間を計算したことないけど

5分で読み終わるものを描くのに1週間はかかって

それを日々の生活の中で時間をつくるのってすごく大変で

 

でも大変だったって言いたいわけじゃなくて 見る人からしたらそんなの関係ないし

自分にとっては 命すり減らし作ったもの でも簡単に肯定も否定できちゃう

 

 

たくさん、嬉しい言葉をもらったことがあるし、

反対に、否定の言葉も受けたことがある

 

このせいで離れていく人も、いたよ

 

 

長い間甘やかされて、人に褒められて、ぬくぬく過ごしてきたから

打たれ弱くて、全然ダメなYちゃん

 

 

だから嫌われることがこんなにこわいんだよ

 

そのたびにいちいち傷ついたり悩んだりをもうずっとずっと繰り返していて、

 

 

Yちゃん、

わたしは、ダサいな

 

 

 

理想の自分になれないことは苦しい

 

 

 

 

「本当は泥まみれで描き上げたあの絵が どこかの誰かにとっては希望の光になるように

そんなつもりじゃなかった事がこの世にはあり 私だってそんなつもりで生まれてきた訳じゃない」

 

落ちサビ、ずっとぺいちゃんのパートで リフトされててびっくりして

歌詞を見るまでこんなこと歌ってるとは知らなくて 歌詞を見たとき絶句しちゃった

 

ミキちゃんにとってはライブをすること 歌を歌うこと アイドル活動をすること 表現することの比喩に「絵」を選んだだけかもしれない

 

わたしはこの歌詞を読んで、はじめに浮かんだのは、わたしが描いた漫画を読んだおかげで、出会えました って伝えてくれた人たちの顔 しかも一人じゃなくて何人かいて

誰かの光になれたかもしれないこと、それは自分にとって 言葉には表せないような嬉しいことで

それ自体がわたしの光になったよ

 

 

2番のぺいちゃんのパートで3人を殴る振り付けがあって、

落ちサビのさいごに3人から殴られるのは

 

自分の中のもやもやしたもの、拘りとか、そういう固定概念にとらわれて雁字搦めになった自分のこと、

それだけが全部じゃない周り見ろよ!気づけよ!バカ!って 言われているようで

自分がすごく重なった

 

 

 

好きだって言ってくれる人も

嫌いだと思う人も

そのおかげで出会えた人も

このせいで離れていった人もいて

 

みんな同じ気持ちを持つわけないんだし

どうせこのことはずっと付き合っていかなきゃいけないんだから

せめてもっと気楽に 楽しくやっていきたいのに

 

 

年齢に比例してできることは増えてきたけど

好き!楽しい!って気持ちだけで描けていた頃に戻れたらなあ

 

 

いまは何か描いたものを公表しても やっぱり不安とかどう見られるかとかばっかり気にして苦しい気持ちばっかりだよ

 

楽しくやってたはずなのになんでだよ

 

 

大したことしてるわけでも大成してるわけでもないのにこんなことばっか言ってウダウダ言ってる自分はやっぱりダサくて格好悪いよ

 

 

じゃあ止めろよ

 

 

でもやめられない

 

 

 

 

 

 

 

リバを聴いてからわたしはずっと

 

自分自身と向き合って

しんどいよ

 

 

 

 

 

ミキちゃん、魔物の大阪の特典会で

「でもこの歌は最後は救いになるから」って言ってた

 

 

そうなるのいつかなあ

 

 

 

 

 

「わたしこれからもずっと 上手くは伝えられないけど

 

きっと少しずつでも大切な事を伝えていく」