僕のひとつだけ たったひとつ どうか消えないでね

わたしのリバ

二丁目の魁カミングアウトさんの「リバ」という曲の話。

 

さいきんになって自分のなかで、大きな変化があったのでのこしておきます。

 

 

新曲としてライブで初披露したのが2018年8月31日、

「THE END OF HOT GAY SUMMER」からはや2年。

 

 

ずっと自分の人生のテーマソング(重!)のような、大切な曲です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時(ていうかいまも)、歌詞が公開されてから、この曲のことが衝撃すぎて

いきおいで、リバと自分についての激長・自分語りブログを書いた。

 

それをこのブログ書くために読み返そうと思ったらこじらせすぎてて読むのつらくて薄目で読んだ。

 

 

これがその当時の自分の感想抜粋↓

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ミキちゃん、ミキちゃんにどうしても言いたい

 

これ、わたしのことを書きましたよね・・・。

 

 

 

リバは槍みたいにグサグサ、わたしに刺さりました

 

たぶん心臓に刺さりました

痛かった

 

傷つくとか、すきとか、きらいではまだなくて

こわい

この歌はほんとうに自分のことを歌っているように感じてこわいです

 

わたしが日頃、抱えているもやもやしたもの

 

直接見るのがこわいこと

 

ドロドロしたものもぜんぶ歌になっていました

 

 

自分が大切に大切にしていることはたった一つなのだけど、ひとつじゃなくて

明るいところも暗いところも綺麗な形もぐちゃぐちゃな部分もあるから

 

そういうぜんぶが歌になったのがリバだと思いました

 

 

なんてことしてくれたんだ

 

 

私は、二丁魁の音楽が大好きで、

ぜんぶ、今まで、大事にしてた、してる。

 

 

リバは、二丁魁の音楽を聞いてはじめてのタイプの曲でした。

 

 

 

正直、戸惑った

 

私はまだこの曲のことを「大好き」とは言えないです。

 

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「これは特技じゃありません ただ好きなことしてるだけです

得意と自信も持てないし あくまで趣味にしといてください」

 

ほんとうは見てもらいたいし評価されたいのに、

趣味でやっていることだと こんなもんだけどって、傷つきたくないから卑下して牽制して

いつまでも自信持って「見て!」って言えない

 

「だって得意気に好きな事やった瞬間 世の中が評論家みたいな顔して 評価してくるでしょ?」

 

 

たとえば漫画のひとつを描くのって

わたしが描くのは実録のものだから 記憶をたよりにメモを書き出して

ここは残して削ってって取捨選択して、こういう気持ちを伝えようって考えて

構成を考えてラフを描いて

スケッチブックに線画を描いて

パソコンに取り込んできれいに整えて 色を塗って

完成するまでにすげえ~~時間がかかる

実作業の時間を計算したことないけど

5分で読み終わるものを描くのに1週間はかかって

それを日々の生活の中で時間をつくるのってすごく大変で

 

でも大変だったって言いたいわけじゃなくて 見る人からしたらそんなの関係ないし

自分にとっては「命すり減らし作ったもの」でも簡単に肯定も否定できちゃう

 

 

たくさん、嬉しい言葉をもらったことがあるし、

反対に、否定の言葉も受けたことがある

 

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「本当は泥まみれで描き上げたあの絵が どこかの誰かにとっては希望の光になるように

そんなつもりじゃなかった事がこの世にはあり 私だってそんなつもりで生まれてきた訳じゃない」

 

落ちサビ、ずっとぺいちゃんのパートで リフトされててびっくりして

歌詞を見るまでこんなこと歌ってるとは知らなくて 歌詞を見たとき絶句しちゃった

 

ミキちゃんにとってはライブをすること 歌を歌うこと アイドル活動をすること 表現することの比喩に「絵」を選んだだけかもしれない

 

わたしはこの歌詞を読んで、わたしが描いた絵や漫画を読んだことによって、誰かの光になれたかもしれないこと、それは自分にとって 言葉には表せないような嬉しいことで

それ自体がわたしの光になったよ

 

 

2番のぺいちゃんのパートで3人を殴る振り付けがあって、

落ちサビのさいごに3人から殴られるのは

 

自分の中のもやもやしたもの、拘りとか、そういう固定概念にとらわれて雁字搦めになった自分のこと、

それだけが全部じゃない周り見ろよ!気づけよ!バカ!って 言われているようで

自分がすごく重なった

 

リバを聴いてからわたしはずっと

自分自身と向き合ってしんどいよ

 

 

ミキちゃん、魔物の大阪の特典会で

「でもこの歌は最後は救いになるから」って言ってた

  

そうなるのいつかなあ

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キツ・・・・・・・・・・・・・

 

なんだこれは・・・

 

(これでも抜粋だけど長え)

 

 

(でも、基本、過去の自分は地雷だけど当時の感想を残しておくのは大事だなとは思った・・・からまあいいか)

 

 

書いてあるのを振り返るとやっぱりな、という感じなのだけど

私は初めてこの曲を聴いたときから、落ちサビを

「絵を描いてる側の人の目線」で聞いてた。

 

 

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本当は泥まみれで描き上げたあの絵が

どこかの誰かにとっては希望の光になるように

そんなつもりじゃなかった事がこの世にはあり

私だってそんなつもりで生まれてきた訳じゃない

 

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ざっくり言うと、

これがつい先日、2020年8月16日のトーク配信「ズバリ言うわよ!」の中の、アルバム曲の歌詞解説で「絵を描かれる側の人の目線」だということがわかり、私はひっくり返ったのである。

 

え〜〜〜〜!???!?ずっと逆だとおもってた!!!!!

 

 

自分の固定概念というか思い込みって、こわ!!

そう思って聴き返したらたしかにそういうふうに聞こえるし振り付けもそうだった。

 

 

自分はこのときにえっ!!となったのだけど、

厳密には去年の年末にミキちゃんのツイキャスでも解説されていて、私はそれを聞き逃していたっぽい。

 

Radio #585144327 - ミキティー本物【二丁目の魁カミングアウト】 (@mikity_sakigake) - TwitCasting

 

(これの1時間57分あたり)(長いから優しい人が再生時間つきで教えてくれた・ほんとうにありがとう・・・😭love)

 

 

それを聴いてみたら概要はこうだった。

 

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・別に絵じゃなくてもよくて、例えとしてわかりやすかったから絵を題材として選んだ

 

・「私だって」は絵に描かれた中の人が言った言葉として歌詞を書いた

 

・例えば希望の絵みたいな、すごい高い絵があったとして、そのモデルとなった人が死後に英雄のように讃えられたりすることがある

 

・描かれたその人は実際、苦労したりつらい思いをしたり、そんなつもりで生まれてきたわけじゃないかもしれないのに

 

・何が正しいかなんて人ぞれぞれちがうし、わからない。それも全部ひっくるめてリバ

 

・振り付けでは絵の中の讃えられて持ち上げられている人がぺいちゃんで、でも土台として支えている人たちの存在もある、それもリバ

 

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(先日の有料配信の歌詞解説でも大体こんな感じのことを言ってくれていた、言葉だとニュアンスが難しいのでリンク貼ったツイキャスを聞いてね)

 

 

そっか〜って、今までと見方がひっくり返った。(これもリバか!?)

 

でもミキちゃんはこのあとに

 

「でも別に絵を描いた側の人の気持ちでもいい、その人は希望になるような絵を描いたわけじゃなかったけどそれが希望になることもある、それもひとつのリバ」

「人によっていろんな捉え方があっていい。曲は聴いた人のものだと思ってるから、その人が捉えたそのままでいい」

 

とも言ってくれていてほっとした。

 

ミキちゃんからしたら当たり前かもしれないけど、

初めて聴いてからずっと抱えていた私の気持ちは、「あっていいもの」だったんだ。

 

 

 

2020年8月30日、「@JAM ONLINE FESTIVAL2020」に出演して、半年ぶりのアイドルイベントで、二人体制になってから初めての「歌って踊る」ライブをした。

そのときのリバにまた衝撃を受けた。

 

この日のライブを見るまで、リバの落ちサビの最新の振り付けは3人体制になってからのもの。ぺいちゃんを持ち上げることはなくなり、いつもならぺいちゃんの身のまわりをミキちゃん・白鳥さんが「絵に描かれた中の人」を崇め称えるようにふわふわと手を添えるだけだった。

でもこの日二人体制でのはじめてのリバは、落ちサビを歌うぺいちゃんを、ミキちゃんが後ろから強く抱きしめた。

 

 

前半の振りも二人体制のものらしく変わっていたので(めちゃめちゃよかった)これも振りのひとつ・・・?とも思ったけど。

 

これが当日の興奮の勢いで書いたブログの該当部分↓

 

 

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おちサビでサイリウム折ったけど、とんでもないものを見て動けなくなっちゃった。

 

ぺいちゃんを後ろからぎゅうと抱きしめるミキちゃん。

あれはそういう振り付けに変わったのかな。でもミキちゃんのアドリブじゃなければぺいちゃんあんなに泣きそうな顔するかな。

 

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あのとんでもない光景は一体どんな意味だったんだろう?って一人でぐるぐる考えてた。

振り付けだとしたら、絵の中の人を抱きしめている・・・?

 

でもあんなの「愛」以外に何があるんだろう。

 

ライブ全体がめ〜〜ちゃくちゃよかったのでその余韻と、現実の仕事の忙しさでバタバタしていて一週間ほどそのことがずっと頭にあったんだけど、

ライブの5日後、9月4日の「ズバリ唄うわよ!」の配信のなかで@JAMの振り返りをすると言っていたので、なんとか答えを聞いてしまう前に自分の見解を表明しておきたくて(?)

始まる1時間前くらいになんとか間に合わせて、お便りの宛先にリバの落ちサビについてのメール(これもめちゃ長い)を送った。

 

 

その後配信で、@JAMのリバの落ちサビの件を話してくれた。

(有料配信だけど感想ツイートは許されているので、そのレベルで書くと)

 

 

やっぱりあれは振りではなくて、手を伸ばした瞬間に「抱きしめなきゃダメだ!」「絶対に手放しちゃダメだ!」って思ってついやってしまったらしい。それもかなり力強くギュッと。

ぺいちゃんにもその強い気持ちは伝わったようで、ぺいちゃんはやっぱり泣いちゃったみたい。

(でも泣いて声が震えないように強く張って振り絞っててカッコよかったなあ・・・)

 

「今まではぺいちゃん(讃えられる人)を持ち上げて讃えて、もちろんそういう気持ちで書いた歌だけど、土台となって支えて上げる人がその後にただ殴るだけじゃなくて、同じ目線に立ったときに逆に愛おしく抱きしめる、そういうことがあってもいいじゃん、人生なんて白黒つける必要ないと思った」

 

「なんかわかんないけどすっごいあのとき大切すぎて抱きしめたくなった、これからも一緒に進んでいこうねっていう気持ちでライブしてるから、あの瞬間に愛おしくなった」

 

「実際に抱きしめたのはぺいちゃんなんだけどぺいちゃんだけじゃなくて、私の中ではこう、おなカマも、楽曲も、振り付けも、すべてを抱きしめてた。何も手放したくない、そういう気持ちだった」

 

 

という感じ。なんかさあ、だよね〜〜〜って思った。

 

ミキちゃんはこのとき自分の気持ちで動いてライブしてたし、ぺいちゃんもそれに応えていたし。

決まりごとは必要なくて、その時その時でちがう気持ちや解釈があってもいい。

 

 

 

記事のはじめに2年前初めてリバを聞いた・見たときの感想を貼ったけど、

私の中でもリバは少しずつ変化していて、

 

実は、いつのまにか、あるところにすとんと落ち着いていた。

 

でも、あまりにねじまがった解釈ではなかろうか?と思って誰にも言えなかった。

 

でも@JAMでのリバを見て、それをふたりに伝えなきゃって思って、お便りに書いた。

めちゃくちゃ個人的なことだけど。これも抜粋↓

 

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私、今まで二丁魁の漫画や絵を描いてきて。

ファンアートってそういうものだと思うのだけど、大前提として本人に気持ちを伝える手段のひとつとして描いてます。

一方で「この人達はこんなに魅力的なんだよ!」と沢山の人に知らせたい気持ちもあり、結果的に第三者にも届いてる。

 

でも世の中にはいろんな人がいるので、たくさんの人の目に触れるファンアートは、私はいつも100%好意で描いてるけど、もしかしたらそれをマイナスに捉えられることも中にはあるかもしれないという「責任」のようなものもたまに感じます。

例えば、はじめに描いた「二丁目の魁カミングアウトを見てくれ!」っていう漫画。なるべく多くの人の目に触れてほしいから、短く魅力をかいつまんで紹介していたけど、

なんというか、これが彼らの全てではないよ~~!と思って。

「こんな表現をしちゃったけど、上手く伝わったかな」とか、しなきゃよかったかな、って思ったこと、今まで何度もあります。

 

でも、リバのおちサビの話を聞いて、自分が誰かのこと(もちろん、二丁魁のふたりも)を絵に描くときに、自分の気持ちをまっすぐ、描く対象の相手に伝えられるように、これからもファンアートを描いていきたいと思ったのでした。

 

 

ちなみに、ミキちゃんは「絵を描かれる側」として歌詞を書いたかもしれないけど、

「絵を描く側」の私の解釈というか気持ちは、

自分の中にずっと持っていたいなと思っています。

 

ひとつだけ、これはどうしても伝えたいのだけど、

「どこかの誰かにとっては希望の光になるように」とある歌詞、

私はいつも、

「どこかの誰かにとっては希望の光になりますように」という願いを込めてます。

そしてその「どこかの誰か」っていうのは、描いている対象の人のことでもあります。

 

ミキちゃんやぺいちゃんにとっての光になれたらいいなあって。

 

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じつは、2年前の初披露とその後の数回は歌詞を見ないでライブを見ていたから、歌詞をちゃんと聞き取れていなくて

はじめのほうは、おちサビの該当歌詞が

「どこかの誰かにとっては希望の光になりますように」だと思ってた。

 

(そのあとに正式な歌詞を読んでこじらせてしまったんだけど・・・)

 

 

私の中では、この初めて聞いたときの、この気持ちのままでよかったんだなあって。

 

 

 

だから私のリバは、

「絵を描く側」の自分の、「誰かにとっての希望の光になってほしい」っていう祈りです。

 

 

それはもちろん簡単ではなくて、悩みや苦しみを伴うものだけど・・・

 

それでもやっぱり気持ちを届けるのを諦めてはダメだから。

 

 

 

 

 

 

こんなにひとつの曲のこと考えたり向き合ったりしたことなんて今までなかったのに、ほんとうに二丁目の魁カミングアウトさんすご!!

 

2年間ずっとリバのこと考えてきたから、なんというか、自分なりの答えが見つかって気持ち晴れやかになった。

うれしい・・・

 

 

でもこれからまたライブを繰り返してそのときだけのリバを見たら、振り付けが変わったら、人生を積み重ねていったら、また考えが変わることもあるのかな。

だとしたらそれもリバかも。

 

やっぱり人生のテーマソング(重!!!)としてずっと自分のそばに置いておきたい大切な曲です。

 

リバを作ってくれて、歌ってくれて、届けてくれてありがとう。

 

 

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「わたし これからも上手くは伝えられないけれど

 きっと少しずつでも大切な事を伝えていく」