僕のひとつだけ たったひとつ どうか消えないでね

「作られたエモ」

 

 

どうしてももどかしい気持ちになったので、自分の気持ちの整理のためにもひさしぶりにブログを書いてみます。

 

 

2020年1月8日「ゲイでもアイドルになれる!in中野サンプラザ

 

率直にいうとこの公演で発表された新曲「あの青い水平線の向こう側」についてです。

 

はじめに、これは、誰かの意見を否定しようとかそういうつもりは一切ないのですが、言葉が稚拙でそのように感じられたら、すみません。

あくまで自分が感じたこと・考えたことの素直な気持ちを書きました。

あたたかく見ていただけると幸いです。

 

 

 

その話の前にそれまでのことを。

 

この日のワンマンライブは、

およそ1年前に行われた「JAPAN GAY TOUR FINAL in 品川ステラボール」で掲げられた、次なる大きな挑戦の公演だったかと思います。

ミキちゃん、ぺいちゃん、白ちゃん、そしてきまるさんの、メンバー4人での目標であり次の夢でした。

アイドルとして大きくなっていくこと・大きな志を感じて、わたしも一人のおなカマとして、4人のことを応援するぞ!がんばろう!という気持ちでチケットを申し込みました。

ですが、きまるさんは8月から体調不良による休養、そして中野サンプラザを目前とした12月にグループ脱退となってしまいました。

中野サンプラザはもちろん、

これから叶えて行きたかった夢は、4人でなく3人が目指すものになりました。

脱退のおしらせを見たときは呆然としてしまって全く実感がわかなかったです。

というのも、きまるさんが休養を発表してから3ヶ月の間、3人でのライブをたくさん見てきたから、「きまるさんは戻ってくるんだ」という気持ちが心のどこかにあったからです。

 

私は「脱退する」という可能性を1ミリもこれっぽっちも考えていませんでした。

いつかきまるさんは戻ってくる、もしかしたら何年経ってからでも戻ってくるんだ、としか思っていなかった

 

きまるさんの休養が決まってすぐのころは、3人にもおなカマにもどうしたらいいかわからない気持ちがライブに表れてしまっていて、正直ライブを見るのがつらいときもありました。

ライブ中きまるさんのことを考えてしまって全然集中できなかった。

とくにつらかったのが、

ある日の3人のライブの「三原色カタルシス」のおちサビ、私はぺいちゃん推しなのでだいすきで大切なパートなのですが、ぼーっとしてしまって、手はケチャをしているのにぺいちゃんのパートが終わってからも黄色のサイリウムを持ったままケチャし続けていて、はっと気づいて慌てて腕をおろしました

ほんとうはライブを1秒たりとも見逃したくないのに、記憶がないし集中できてなくて、自分の気持ちがついていなかったことがとても悲しくてショックでした

休養になってから1ヶ月の日に、「きまるモッコリは体調不良によりまだ休みます」というお知らせがあって、そのときやっと体調不良であることがわかって、心配だけど不明瞭でずっともやもやしていたことはすこしだけ解消して、

どれだけ待つことになってもいいからそれまで3人のことを支えようと心に決めてライブに通いました。

 

 

10月、11月と時間が進んでいくと、3人でのパフォーマンスはどんどん良くなっていって、できる曲も増えて

何より、まっすぐに気持ちを伝える・歌を届けるというスタンスにかわりはなかった

ハッとさせられて、いつもいいライブだったなあとホクホク家に帰っていました。

 

きまるさんはいつか帰ってくるから、それまで居場所を守りつつ

「3人になってしまった」でなく「3人としての」パフォーマンスと感じていました。

でも12月に脱退発表されてからのライブは、また全然ちがって

今まできまるさんのパートを“代わりに”歌っていたけど、これからは私が歌います!!という強い意志をそれぞれに感じるようになりました。

前に進もうっていう姿勢が見えてとても格好良くて、はああ~~~と感嘆しつつも「あ、そうか、きまるさんはもう戻ってこないんだ」って何度も思って寂しくもありました。

 

寂しくもありましたどころか、めちゃめちゃ寂しいです。いまも。

 

でもきまるさんの気持ちも一緒に抱えて前に進むと決めた3人のことを、応援したい、自分も前に進みたいと思いました。

 

そんな、長い長い3ヶ月とすこしを経て、3人になってから初めての大きなワンマンライブが中野サンプラザ

期待ももちろんあるし、そしてとても難しいだろうなと思いました。

 

 

これはとても主観だとわかった上で書くけど、

二丁魁が、あの4人であることは、永遠で絶対で必然で運命だと、みんなが思っていたんじゃないですか?

 

わたしは、思っていました

 

 

アイドルオタクになってから、アイドルの脱退・卒業・解散のニュースをしぬほど見てきました

でも二丁魁を推している自分にはそんなことは無縁だと、どこかで安心していて

この4人はこの先ずっと一緒にアイドルをやるんだと信じて疑わなかった

それは「病める時も健やかなる時も」のMVでもあるように、約束されたものだと思っていました

 

思い込んでいたんです。

 

でもアイドルだって、当たり前だけど、その身ある人間だから

そういう気持ちとはまったく別のところで、やむをえない理由で続けられなくなることがあるんだと知りました

そんな当たり前のことを、わかっているようで、本当はわかっていなかった

 

きまるさんの脱退によって、きまるさん推しの人も、それ以外の人もそれぞれ色んな気持ちがあって、離れていくこともあると思います。

 

 

私は以前応援していたアイドルグループで、推しじゃないメンバーが体調不良で急に脱退することになってしまって、その子を含むグループがほんとうに大好きだったので、どうしても気持ちがついていかなくて、

推しがいるままでも気持ちが離れていってしまいました。

 

だから中野サンプラザの公演を、これからどうするかは見てから決める、と思って臨んだ人も多いんじゃないかと思います。

 

 

 

中野サンプラザ、全体的にとてもすばらしいライブだったのでほんとうは全部の感想書きたいけど、それは一旦置いておいて

本題の、新曲「あの青い水平線の向こう側」のことを書きます。

 

この曲は中野サンプラザのアンコールで披露されました。

 

アンコールでゆっくり登場した4人は、それぞれのメンバーカラーの紫陽花をまとった和風の新衣装。きれいでした。すぐに「きまる衣装」って思った。

3つとも本物の紫陽花には存在しない色だから、いいなあ~って見てました

 

曲が始まるまえのミキちゃんが話してくれたのは、

私たちの今の気持ちでもあり、おなカマが歌う曲でもあり、きまるくんの歌う曲でもある。

歌うのは今日限りであり、

そして「4人で歌う最後の曲」とのこと

 

ライブが始まる前の予想でしたが、

3人になってからのはじめての大舞台で、きまるさんのことについて何か言及はあるだろう

もしかしたらきまるさんに向けての新曲があるのかな?くらいに想像はしていました

 

披露するのは一度きりだというこの曲を、全神経を集中させて心を決して聴きました。

 

 

ステージ上段に並ぶ、左から白鳥さん、ぺいちゃん、ひとりぶんのスペースを空けてミキちゃん。

ひとりぶんはもちろんきまるさんの居場所でした。

それぞれに白・黄色・青・赤のライトが照らされて、ああ4人で歌うってこういうことかあ、とかんじた

すごく綺麗でした

 

歌詞は、メンバーからのきまるさんに対する素直な気持ちで、

ニュアンスだけれど

「もらったのは悲しさじゃなくて優しさ」「もらった優しさをまたほかのだれかに渡してゆく」「紫陽花」「希望」

きまるさんのことばかりでした。

 

とくにぺいちゃんのパートで、

「失ってから初めて大切さに気づいたなんて言葉があるけどそうじゃなくて、出会ってからずっと大切だったよ」

という歌詞があって泣いてしまった

聴きながら「そうじゃなくて」の後になんて歌うかが直感でわかって、これは自分の気持ちでもあるなって

二丁魁の、ミキティー本物さんが書く歌詞ならではの、気持ちに寄り添ってくれる歌だなあと思いました

 

そして。

3人がゆっくり歌い上げると、きまるさんのいたころの思い出の写真や映像と一緒に、きまるさんの声が聴こえる…!

別録り?とおもったら、きまるさんが歌っているのではなく、過去の音声を組み合わせたものでした。

突然の電子音にびっくりして、あまり歌詞の内容覚えていないのだけど

これからも大切な思い出を胸に生きていくよというかんじの。

 

 

 

ライブが終わって、おなカマのみんなと別れてから、一人になってツイッターを見たら、

 

この新曲について怒っている人の感想があまりにもたくさん目に飛び込んできて、びっくりしました

賛否両論だった

 

4人での歌を届けてくれてそれで救われた気持ちになった人もいれば

つぎはぎの電子音がとても「きまるさんの声」とは言えないということ

きまるさんとの別れを「エモ」にするな、感動演出をするなという内容のことが多かった

 

これは完全に自分が悪いけど、自分の心もまだ整理できていないまま色んな人の感情を浴びてしまって頭が痛くなりました

 

 

 

私の感想はというと、

正直、あの電子音声をきまるさんの歌かといわれると、、ううん、ずっと考えてたけど正解がわからないです。

そりゃもちろんきまるさんの生の歌声を聴きたい私も、でもそれはできなかった

それができないくらいなら無いほうがましだったと思う人がいるのもわかります。

でも、あの音声は過去のきまるさんの声を組み合わせられたものなんでしょ、そう思うと、「あんなのきまるさんじゃない」と言い切ることもわたしにはできませんでした

 

その手法が正しいとか正しくないとかはわからないけど、「きまるさんの声を届けたい」という思いをとても強く感じました

 

脱退してからの告知でも何度も言っていたけど、この中野サンプラザはきまるさん含む4人で目指した夢だったから、物理的には難しくても一緒のステージに立ちたい。

そして中野サンプラザで4人のライブ・きまるさんの歌を聴きたくて期待してチケットをとって、いろんな気持ちに折り合いをつけてここに来た人たちに向けて、どうにかしてきまるさんの歌を聴かせたい。

4人のステージを届けたい。

そういう気持ちで、たくさん考えて、悩んで出した結果なのかなあと思います。

 

それを考えたら曲に対してというより、その思いやりに涙が出ました

そして、ああきまるさんにはもう会えないんだって、このときやっとはっきりわかった。

 

 

わたしは彼らの「歌でまっすぐ気持ちを届ける」姿勢がだいすきです。

いつも全力の感情でぶつかってきてくれるから、私もそれに応えなきゃって思って全力でぶつかっていきます

だからこの曲のことも、自分たちの気持ちを限られた時間のなかで伝えようとしてくれたんだなあと。

 

 

ただなんか、本当に、あのねえ

気持ちを伝えるのってすごく難しいということを痛感しました

 

自分の脳みそをそっくりそのまま相手にエアドロップで共有できたらいいけど、それってできないじゃないですか。思ってることありのままぜんぶを伝えるのってほぼ無理なんです。

 

でもだからこそ人は、言葉や文章や歌や絵や写真とかの手段を使って、表現をすることができる。

 

今回、彼らはいまのありったけの、ぜんぶの気持ちで100%のパフォーマンスをしてくれたと思います。

歌もダンスもつなぎとか照明とかステージとか振り付けとかとにかくあらゆる演出を使って、新しい挑戦も工夫もたくさんあった

本編のライブ、演出もだけどそれぞれの技術がとてもあがっていて圧倒されました。

 

たくさん努力したんだなあ

 

とにかく、とてもがんばったのがわかったのでつらい気持ちになりました。

 

彼らも、自分たちの今のベスト(というのが大前提で話をしていますが)のライブをして、

いま、いろんな人の感想を見てもどかしくて悔しい気持ちなんじゃないかなあと想像します。

 

わたし、きまる推しじゃないけどきまるさんの歌が大好きです。

ステージで生きてる声が大好き。

だから、あの曲で気持ちの整理がついた人がいたり、前向きになれたりする人もいれば、

きまるさんの歌としてあのように表現されたこと、今までありがとうみたいなお別れの演出に、傷つく人やこれによって離れていってしまう人がいることは、こんな言葉を使いたくはないけど、しかたのないことなのかもしれない

 

 

わたしは何より、あの曲について「同調圧力」「感動演出」「泣かせようとしてる」と思われてしまったことが悲しくてたまりません。

 

少し自分の話になりますが、

私は自分の気持ちを伝える表現の方法のひとつとしてファンアートの漫画を描きます。

読んだ人に感想として「泣きました」と、よく言っていただけるのですが(ありがとうございます)

私は、いつも自分の気持ちをできる限り伝えようとしているだけで、人を泣かそうと思って漫画を描いたことは一度もありません。

気持ちを受け取った結果として、泣いてしまうのは心が動いたということなので、届いたんだって思って、うれしいのですが

「いつも感動させる作品をありがとうございます!」みたいに言われることがたまにあると(悪意はなくとも)そっか~と思います。

なんだろうな、オタクはキモいので、読んだ上で嫌いとかキモいとか思われるのはそれは好みの話なので全然いいんだけど、

泣かせようとして描いてると思われているのなら、苦しい

そんなつもりはないし、自分の伝えたい気持ちがまちがって伝わってしまうとすごくもどかしくて悔しいです。私の場合ただの技術不足ですが。

(まあ自分でもたまに読み返してみると、これはよかったなとか、今見るとマジで気持ち悪いなと思うこととかあって、過去の自分と解釈違いをおこしてキモくて恥ずかしくて消えたい気持ちになりますが…)

 

バクマン。という漫画家を志す少年たちの漫画の中で、主人公と担当編集の打ち合わせで「読者は目が肥えてるから泣かそうとするのがわかると逆にシラける」という台詞があって、それって言い得て妙で

 

あの歌や演出のことを、人によっては、きまるさんのあつかいをまさに「作られたエモ」と捉えられてしまったのかなあと思いました。

 

 

一年前の品川ステラボールのときも、

「アンハッピーバースデー」の初披露で、いろんな気持ちになった人がたくさんいましたね。

今となってはとてもとても大切な曲になりましたが、あの時はわたしも真っ暗なステージの中で歌う4人がとても遠い存在に感じて、寂しい気持ちになりました。

でも本人たちにはそんなつもりはなかったみたいな、なんというか…

不器用ですよね

 

気持ちを大切に思いやってくれているのに、難しいね

 

ちなみにこれを書いてる途中にナタ…の記事が上がったので見たら、そこでも「涙を誘った」という言葉を選ばれていてああ~…となりました。

涙を誘うため、みたいに思われたのか。

 

私は、いまの二丁魁のありのままの気持ちを伝えようとしてくれたんだと感じました。

そのことを、感動演出と言われてしまうのがやっぱりどうしても、くやしい

 

「作られたエモ」なんかじゃないよ

 

 

色んな人の色んな気持ちがあって、

限られた時間のなかで、言葉をえらんで、どう思われるかもわからなくて

そんななかで自分たちの気持ちを示すというのは、途方もない勇気のいることだと思います。

しかも彼らはアイドルだから、たくさんの人の心を相手に。

 

リバのなかにも「わたし思ってること全部言葉にしたらきっとあなたもう顔も見たくなくなると思うのよ」という歌詞がありますね。

どう思われるかという不安のなか歌ってくれたんじゃないかなあ。推察ですが。

 

 

なにより、大切なきまるさんが脱退することになった3人が

苦しくてもそれでも前を向いていくことが、簡単なはずないと思うんです。

 

私はアイドルじゃないからわからないけど、

ステージのうえで歌うことで、ファンだけじゃなくて、自分自身を励ますこともできるのかなあ。

 

そう考えると、「あの青い水平線の向こう側」を歌うことは、これからきまるさんの気持ちと一緒に前へ進む自分たちのためにも

必要なことだったのかなあと想像します。

 

勇気をだして気持ちを伝えようとしてくれて、ありがとう。

 

 

いま、とにかくわたしは

3人のことを、がんばったねって

たくさん褒めまくって撫でまわしてぎゅうぎゅうに抱きしめたい気持ちです。

 

夏のあの日にきまるさんが急にお休みになって、おなカマから見えないところで、想像できないような大変なこと・つらい気持ち

苦しいことがたくさんあったと思います。

 

それでも前を向いていてくれてありがとう。

 

 

わたしはやっぱりきまるさんのこともミキちゃんぺいちゃん白ちゃんのこともだいすきだから、

きまるさんの気持ちと一緒に、前に進む彼らに、「大丈夫」って言い続けたいです。

 

やっぱり大好きだし、彼らのことが大切だってわかってしまいました

 

セルフプロデュースということもあり、不満や怒りや悲しみの声はぜんぶダイレクトに本人達が受け止めなければならないのだと思います。

特にミキちゃんはプロデューサーだから、それによって苦しむこともあると思います

 

でも、これは無責任かもしれないけど、それでも表現することをあきらめないでほしい。

私はアイドルとしてこれからもっともっと成長して大きくなっていく二丁魁を見たいです。

 

 

これからまた一歩ずつ、だよ

わたしも一緒に行くね。