僕のひとつだけ たったひとつ どうか消えないでね

5年

2022年8月23日。ぺいちゃんに出会った2017年の同じ日から5年が経ちました。

 

2017年の8月1日にまるもうけのMVを初めて見ていいなと思ったこともあり、8月が近づくとふとあの頃の匂いを思い出すことがたくさんあってそのたびに泣きそうになった。時間が流れることと歳を重ねることへの焦燥感は今も消えないのだけどその時どきの空気、匂い、目に映るもの、ほんとうなら不快なはずの肌にまとわりつく汗や風も、まるごと取っておきたいと思えるような感性を持てるようになったのは全部ぺいちゃんに出会ってからのことでした。

好きになってからしばらくは、自分よりファン歴の長いいわゆる古参の人をすごいなとばく然と羨ましく思うことがあったけど、自分もそれなりに年月を重ねた今、あの頃思っていた自分とはちがってた。過去を懐古するばかりだし、知ることで純粋に見れなくなったものごとは増え、好きになればなるほど自分の執着やうつくしくない拘りにうんざりするようになって、たったひとつの小石に足をとられて30歳になった瞬間大阪から東京に戻る夜行バスのなかで絶望して泣いた。唯一の救いはただ過ごしてきただけではなく自分のなかに積み重なった言葉や記憶があること。「僕の中に大嫌いな僕がいたってそれこそが君に出会えた理由なんだとしたら今の僕だって案外悪くない だろ?」日々の悩みや落ち込む出来事の理由の99%が他者の介入による何かではなく自分への絶望なので、そのたびに思い出すお守りのような言葉や歌詞を今までにたくさんもらいました。

2022年6月5日に品川グランドホールで聞いた青春は何度でもやり直せるなんて嘘だにある、「28 29 30歳 とうとうあの時思ってた『大人』になったんだけどなぁ まだまだ青いな」という歌詞で涙がぽろぽろ出た。このときの対バンはとにかくみんなで楽しもう!みたいなセトリで、最前でぽろぽろ泣いている私を見てミキがびっくりした顔で笑ってた。気づけば自分の人生の◯歳の欄がスタンプラリーで印をつけてもらったように彼らと過ごした時間で埋まっていって、こんな時代にそうやって一緒の時間を共有できることの当たり前でないありがたさを痛感した。この時点で自分の人生の1/6がぺいちゃん推しの人生であることを伝えたら「あたしまずはあなたの半年狙ってるから」って真顔で言われて笑っちゃった。自分の人生の1/2がぺいちゃん、ってそのとき私50歳だよ。

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ぺいちゃんを「見つけた」と思ういちばん初めはやっぱりまるもうけのMVを見た時で、くるくる変わる表情を見て目が離せなくなって、会いに行きたいと思った。初めて会ったあの日に、特典会でアイソのお酒や香水や煙草の甘ったるい強い匂いがするVIPルームに入って、ぺいちゃんと初めて目があったときの顔、思い出すだけで心臓があの時みたいにリアルにどきどきする。隣に座ったら強い香水の香りとすこしの汗のにおいがして、本物だ…って思った。いざ本人を目の前にしたら会いに至るまでにいつの間にか想いをこんなにも募らせていたのかと自分でびっくりした。実際に見るともう本当に顔が好き・今までの人生のなかで見た顔の中で一番好きな顔・世界で一番顔が好き(・・・)なのだけど、それ以上にあまりにステージ上での笑顔が可愛い人。楽しそうで太陽のような人だと思った。それは間違いなくこの人の天性のものだと思うのだけど、「明るくて強いゲイギャル・ぺいにゃむにゃむ」でいるための日々の努力や研鑽があることをだんだん知ってゆき、いつのまにかその全てが愛しいものになってしまった。ミキが言う「ぺいちゃんは強い」のなかみは「ぺいちゃんは強くいようとする気持ちが強い」なのではないかなと今は思う。そして素の自分(太郎くん)があるからこそ人間らしくてあんなに優しい人なのかな。当時から歌いながらよく泣いてしまう人だったけど、最近では(まあ泣いてしまうけど)泣くのをぐっとこらえて歌を届けようとする場面も増えた。今年の2月6日全国ツアー埼玉で涙が頬を伝いながら歌いきったノスタルジスターは忘れられない。強くあろうとする姿を見るたびにたまらない気持ちになって、この人の強さの一因になれるようなファンでいなくてはと思う。

「僕たちの関係は摩訶不思議」のいちばん不思議なところの話をするのですが、ぺいちゃんと私の関係は、実は私からいつでも一方的に終わらせることができます。それはぺいちゃんと私がアイドルとファンだから。私からのアクションの取捨選択でぺいちゃんに会いに行かなくなればもうそこで終わってしまう。そんな摩訶不思議な関係なのに、終わるどころか5年前と変わらない熱を持ったままずっとぺいちゃんのことが好きで好きで好きで毎日ぺいちゃんのことばかりです。すげー。はっきりわかるのは、それは私が一途だとか執着とか情だとか全然そんな理由なんかじゃなくて、ぺいちゃんが努力のすえにずっとぺいにゃむにゃむとしてステージに在り続けてくれる人だから。

ノスタルジスターの歌詞に「誰かを愛しその心に居場所をつくりたい」とあるように、もうずっと前から私の心の真ん中にはぺいちゃんがいて、ぺいちゃん一人だけがいて、それをこの先も離さないでいてほしいと思うんです。このまえの8月16日にノスタルジスターを聴いたときにそこがやけに胸に沁みてしまってずっとぽろぽろ涙が出た。「5年前からずっと私の心にぺいちゃんがいるの」と伝えたら、「私の心にもゆいこがいるよ」と言ってくれた。ぺいちゃんの心はきっと言葉通りに広くて、ご家族や二丁魁のみんな、スタッフさん、他のおなカマもたくさんの人が居ると思うのだけど、その中にわたしも居させてくれているのだとしたら、なんて幸せなことだろうと思った。心に誰かが在るということ、厳密にどういうことか言い表すのは難しいけど、自分が渡したあらゆる形の気持ちがわたしの心の一部なのだとしたら、それがぺいちゃんの力になっていてほしい。そう在れるようにがんばります。

積もる話も溢れる気持ちも山のようにあってだんだんまとまらなくなってきた!最後に今日という日の大切な曲の話をします。

ネコの恩返し

ネコの恩返し

  • 二丁目の魁カミングアウト
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

music.apple.com

初めてこの足でぺいちゃんに会いにアイソに行ったあの日は、ネコの恩返しが初めて披露された日でした。そしてこの日の私は、仕事でライブに間に合わないかもしれないけど、直感でどうしてもこの日じゃなきゃダメだと思って会いに行ってしまって、何度も書いていることですが初めての日にライブを見れなかったことをずっと後ろめたく思っています。でもだからこそこの日に聞くネコの恩返しは私にとっては発表会で、また新鮮に何度でもぺいちゃんに出会ってひとめぼれすることができる曲。

occiuy.hatenablog.com

これは去年の今日書いたものなのだけど、改めて読み返したら今と変わらない気持ちを書いていてびっくりした。

 

この曲はライブで見るといわゆる「アゲ曲」のひとつで、明るく猫のまねをしてニャーニャー言うのがかわいい振り付けなのに、歌詞は明るくない。ステージに立つ側のアイドルの苦悩と外から聞こえてくるさまざまな声のことが書かれてるなあと思うのだけど(もう今さらだけどミキにまた解説を聞けたらいいのになあ)、今改めて目で追ってみるとさきに書いたような、自己嫌悪でくしゃくしゃになった自分にも当てはまるような歌詞でびっくりした。

時に脆い心は粉々になって

人に触れられると 強く痛く滲む

でもそんな日だって限られた時間で

返していきたいものがここに確かにある

特にこの落ちサビが大好き。「限られた時間で返していきたいものがここに確かにある」はまさにステージからこちら側に向けてのことだと思うけど、その逆でもあって、私はこれまでにぺいちゃんにもらったたくさんの返したいもので溢れて、いつもそれをそのままぺいちゃんに届いたらいいのにって手を伸ばす。一年でいちばん感謝がつのる出会いの日に発表されたのがこの曲で、そのいちばんのところをぺいちゃんが歌っているのってさすがに運命なんじゃないかって思います。

そんな今日という日に同じ場所でまたぺいちゃんに出会えること、本当に嬉しい。当時はネコで14曲目?今はそれより30曲も増えたんだね。もしかしたら聴けないかもしれない。でも大切な曲は他にもたくさんあるから、もし聴けなかったとしてもいいんだ。楽しみにしてます!今日という日は私にとっては何より(具体的には12/5と1/6の次に)特別だけど、ほかの誰かにとってはなんでもない日だと思います。そんな日にこのような重ためのメッセージ失礼します!!

 

ずっと私の心に居続けてくれて、ぺいにゃむにゃむでいてくれてありがとう。

ぺいちゃん大好き!